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毎年恒例の桜まつりは昨年震災のため中止となって、2年ぶりに開催されました。
6日から8日まで3日間。今日は最終日ということでもあり、人出が多く歩くのも儘なりません。 昨年のひっそりしたこの日を思い出すと、一年たったとは言えかなり賑わいを取り戻していました。 お天気も良く前日の強風と底冷えが嘘のような穏やかさです。 ![]() 大好きなユキヤナギが咲く「江戸東京建物園」の中。 昨年より美しいような気がします。 模擬店が出たり、建物園の前の広場に設置された舞台での催しは例年と変わりません。 ![]() 催し物の前の広場は見事な桜が立ち並び、一番人気。 お弁当を広げる人や、模擬店で買ったと思われる焼きそばを頬張る人の楽しそうな様子が見られました。 でも、桜は背景になってしまいましたね。 今年は模擬店が少なめだったせいか、どの店も長蛇の列。 並ぶのが大嫌いな夫は空腹もあってだんだん機嫌が悪くなってきます。 「やっぱりね~」 人と同じ行動をとるのが苦手な(確かサルにもこういったへそ曲りが・・・)夫婦共々、いつも出遅れ組です。 ゴールデンウイークも、お盆もお正月も億劫になって家に居ることになってしまいます。 もうこうなってはお花見どころではありません。 もっとも、人が多くてゆっくり桜を愛でる気分にもなれないのですが… 空腹を満たすため、早々にして公園の外のお店を探すことに意見は一致。 やはり花より団子? ![]() ←綺麗に整備された花壇です。 看板にボランティア「小金井公園花の会」とありました。 手入れ怠りなくですね! 五日市街道に出るとすぐにラーメン屋さんが目に入り、夫は「何処でもいいや」と言わんばかりにもうお店の中へと。 腹ペコだし歩き疲れたしで、椅子に腰かけるとホッと有難い気分になってしまいます。 このお店、もう大分お年の(自分のことは棚に上げ)ご夫婦でやっていて兎に角安いのにビックリ! 私の注文したワンタンメンが何んと500円。今どきのお店でこんな値段は珍しいのでは? お味の方はと言うとちょっと塩味の効いた色の薄い醤油ラーメンといった感じ。さっぱりしていて昔よく食べた支那そばに似て、なんだか懐かしい。 模擬店は物珍しいだけで、この年になるとやっぱりテーブルで食べるのが良いなぁと、妙なところに感心してしまいました。 → ![]() 家から歩いて公園に行くと真っ先に出会う桜の大木。 昨年より色も美しく一層の品格が感じられます。 お腹も満足し、再び公園を通り家まで辿り着くと早速ビールです。 「家に居るのが一番だね」全くね…! お祭りが楽しかったのは若いうちだけのような? お花見はあまり人の居ない静かなところが良いですね。 昨年の丁度今日(8日)デジカメ倶楽部の撮影会も小金井公園の桜。 あの時は風が強く、曇っていたせいか、薄ぼんやりした桜でした。 今年の桜は艶やかで生き生きしているような気がします。 桜はやはり青空の下でなければ!
XPに取り込んだインターネットのブックマーク(お気に入り)情報をセブンに取り込むには?
ちょっと手間が掛かりましたが無事取り込めました。 ただし、Internet ExplorerではなくブラウザはMozilla Firefoxです。 ![]() 「Moz Backup」というフリーソフトを使うとMozilla財団が提供しているインターネットブラウザ「 Firefox」とメールソフト「Thunderbird」のバックアップが簡単に出来るそうなんです。 インターネットのブラウザは殆どMozilla Firefoxを使っている関係でブックマークもこちらが主です。 メールもThunderbirdを主に使っています。アドレス帳情報も追加したアドオンも、XPで使っていたのものを入れることが出来、使いにくさは一挙に解消。 ただ、このバックアップ操作ばかりはXPとセブンを行ったり来たりしなければ出来ないのです。 先ずXPに「Moz Backup」をインストール。その後このファイルを使ってXPに取り込んであったブックマークをバックアップ。 次にセブンの方にも「Moz Backup」をインストール。 今度はこちらのファイルを開き、XPでとったバックアップの情報を取り込む。 こんな風に書くと簡単なことのようですが、初めはインストール先を間違え再インストール。 次はバックアップしたファイルがどう間違ったのか、どこを探しても見当たらない! 何回もセブン、XPと切り替え、その上書かれている内容の是非が判断できなかったり・・・ で、結局サポーターにブーブー言われながら小さくなって実行しました。 でも、こんなに便利なソフトが用意されているなんて、パソコンの世界は日進月歩なんだなぁと痛感した次第。 きっとInternet Explorerにも良い方法があると思いますが、こちらはバージョンが9になってから更にセキュリティを強めて、使いにくさこの上なくなってしまい残念ながら出番は少なくなっています。 パソコンはもっと使いやすい方向に単純化されても良いのでは・・・ 思想の問題でしょうか?或いは技術力なのでしょうか? ともあれ、XPとセブンの情報のやりとりが一台のPCで切り替えられることに少々興奮気味です。
一台のパソコンに複数のOSを入れることをマルチブート、そのうち二つのOSをインストールするのをデュアルブートと言うそうです。
。 我が家のパソコンは殆どがデュアルブートかマルチブートで使われていまして、私のPCも最近までWindowsXPの他にLINUXOSの一つUbuntu(ウブントゥ)が入れられていました。 Ubuntuを勉強したことのない者にとってこれは全くのお邪魔虫。 と言うわけで最近Ubuntuを追い出し代わりにWindows7をインストール。 XPは長年親しんできて何の不満も無く、普段使っているPCはサポート切れまでXPで良いと思っていました。 ところが現在ネットクラブのパソコン編の授業ではほとんどの方がセブンのパソコン。授業もセブンを対象に行っています。 そのような状況下、XPだけではやはり不便を感じ遂にWindows7も入れたというわけです。 ただ、デュアルブートにするにはハードディスクの容量がちょっと少ない。いずれはハードディスクを容量の大きいものに交換するか、完全にセブンに移行してXPは追い出すかの選択が迫られることでしょう。 今はパーティションを「セブン」「XP」「XPに入っているマイドキュメントのデータ」と三つに分けて使っています。 ![]() ご覧のように其々の空き容量が少ないのがネックなんです セブンからもXPからも「XPのマイドキュメント」のデータが取り出せるようになっているのですが、初めのうちはその事を忘れていちいち再起動をかけてはセブンとXPを行ったり来たり。 かなりイライラ・・・ でもそのお蔭でXPでは「マイコンピューター」セブンでは「コンピュータ」を開いてみる機会が増えました。 その結果「コンピュータ」に親しみを感じるようにもなりました。これがパソコン編の勉強に多少は役に立つと良いのですが・・・ XPとセブンの違いも面白く理解できるということからも、デュアルブート体験はなかなか良かったと思います。 そして結論としては、私のパソコン使用レベルでは何もセブンでなくともXPで充分だと。 ただし、セブンはやはり「動作が速いな」とは感じましたが・・・ そして以前より我が家のパソコンサポーターを呼び出すことが少なくなったかも…(イヤ、そんなことはない? ) 一つ感心したことがあります。 「紙CopiLite」というフリーソフトを使っているのですが、XPの方で取り込んだ膨大な(?)データをどうやって移せば良いか考えあぐねていたのです。ある時、箱(フォルダのこと)を新しく作ろうと名前を入れたら「以前に同じ名前のものが作られているからそれを利用するか?」と問い合わせてきました。 「ヤッター!」勿論「はい」です。 これでXPのデータはセブンにインストールした「紙CopiLite」に自動的に移ったというわけです。 仕組みをよく知る人には驚くことではないかもしれませんが、ちょっと感激しました。 メーカーパソコンのように色々なソフトが入っている訳ではないので、XPで使っていた便利ソフトを次々インストールして自分仕様のパソコンに仕上げていくのも面白いことの一つです。 スムーズに使いこなすには多少時間が必要かと思いますが、新しいことは刺激があってよいなと・・・ 後はインターネットのブックマークを移行することをやってみようと考えています。 失敗してもリスクはありませんからね。 敗戦の色濃くなった昭和19年から20年にかけては若い特攻隊員のみならず真珠湾攻撃以来の歴戦熟練飛行士まで特攻に出されたのだった。そして終戦の一週間前ついに祖父の宮部久蔵にも特攻の命令が下る・・・ 本書では真珠湾攻撃に始まって、神風特攻隊に至るまでの軌跡が明瞭に描かれている。 そして特攻隊員は志願兵だったとされてきたことが如何に間違った作り話であったかを明らかにしている。 人の命を赤紙一枚でいくらでも補充のきく弾丸のように考えていた日本海軍。 志願する、しないをあたかも選べるような紙が配られるが、厭とは言わせない上官の態度に従う他はなかったのだ。 特攻隊の若い兵士たちの死に向かう内心への作者の深い思い遣り、すぐれた洞察には心洗われるものがある。 この大戦で実際に戦った兵士と、人の命より戦闘機を大切に考えていた軍部の超エリートたちとの間に横たわる深淵・・・ また自分の命が惜しくてみすみす勝てるチャンスを逃す軍部のリーダー達。 彼らはどんな大きな過ちも問われず、お互いをかばい合ってもいたのだった。 また、日本を戦争一色に染め上げていった新聞社の責任。 健太郎が訪ねた人々の口からは当時の日本にたいする無念の想いが迸り出る。 でもこれは翻って戦後から現在に至るまでの日本の政治家や官僚と、一生懸命に働き生きる市民との隔たりにも、そして震災・原発を伝えるマスコミの真実からかけ離れた姿勢にも重なりあい酷似しているように見えるのは私だけだろうか? 矛盾に満ちた社会に無関心でいてはいけない、長いものに巻かれるような無責任な姿勢は排すべきこと・・・言葉だけではなく行動が伴わなければ実現できないことを忘れていたのかもしれない。 真の勇気とは? 守るべきものは? 人の命とは? 沢山の問いかけが物語を通して読者に投げかけられ・・・ 「宮部久蔵」に理想の人格を与え、読者も含めて接した多くの人々の内面に働きかける。 優れた資料や文献、或いは記録映画などで太平洋戦争については語りつくされた感もあるが、この物語を通して浮かび上がってくる事実は強い説得力をもっていた。 綿密に調べられた事実とフィクションを織りまぜたこの小説は私にこの戦争について大きな関心を呼び起こすものとなった。 戦争を全く知らない若い人達に是非読んで欲しいと思う一冊でした。 この本を紹介して下さったMさんと本を貸して下さったTさんに感謝しています。
ある日レッスンに来られたMさんからこの不思議な表題の長編小説についてお聞きして、珍しく「どうしても読みたいと」思った。
子供の頃からの習慣からくるものなのか、読書の傾向はどちらかというと翻訳物に偏ってしまう。 何故だか日本の小説に馴染めず、特に新しい作品の多くは斜め読みになってしまったり、最後まで辿り着けなかったり。 しかしこの本は違っていた。 第二次世界大戦で戦った当時世界最強と言われた零戦闘機とその熟練操縦士「宮部久蔵」を通して太平洋戦争の驚くべき事実が明らかにされていく。 この物語は戦死して顔を見たこともない祖父について調べようと主人公の健太郎とその姉が、祖父と一緒に戦ったと言う人々を訪ねることから始まる。 その中で二人は自身の内面の変化に気付かされると言うのが横軸となっている。 そして縦軸としてこの大戦の大きな過ちがどの様にして起きたのかが語られていく。 はじめに訪ねた長谷川と言う男は宮部を「臆病者」と軽蔑していると・・・ 口減らしのために兵隊となった男の語る当時の貧しい日本。 命がけで闘い片腕を失くしたにもかかわらず、戦後は国も世間も冷たかったと辛い人生が語られる。 戦争が終わった途端、日本を守るために戦った一介の兵士が「戦犯」呼ばわりされたのだ。 特攻で亡くなった隊員の家族までも「戦犯」と呼ばれ石を投げられて、貧しく寂しい人生を閉じた話は哀しさと共に憤りを禁じ得ない。 「臆病者」の言葉が重くのしかかって落胆して帰る二人。 その後次々訪ねる戦闘機仲間の話によって「臆病者」のレッテルが何から来るものかが解き明かされていく。 そこには妻と子供の為に「必ず生きて帰る」と言う強い想いを持つ祖父の姿が浮かび上がってくる。 一人乗りの軽い零はスピード、そして急降下や宙返り等に優れた戦闘機だった。 しかしその反面防御はお粗末なもの。人命軽視の思想が現れていた。 ところが優秀な零戦闘機をたまたま手に入れたアメリカ軍は零を徹底的に研究した。そしてグラマンF6F、シコルスキーと言う攻撃も防御もすぐれた戦闘機を生み出していた。 その戦闘機はパイロットの命を守るべく撃たれても弾が貫通しない厚い防御板を操縦席の後ろに付けていたのだった。 飛行機の補充は簡単だが腕の良いパイロットを育てるのは時間がかかると言う至極当然の考えから作られたものだったと。 その上電信技術に雲泥の差があり、日本軍の発信する無線も難なく傍受されていた。 一方零戦闘機には碌な通信機も無くそのため失ったパイロット、戦闘機がどれほどあったことか。 ここまで読むともうこの時点でこの戦争の決着は付いていたのではないかとさえ思える。 講談社文庫 ![]() 祖父「宮部久蔵」は自らの命だけでなく仲間の命も大切にした。 その為に戦闘機やパラシュートの慎重な点検。零を操縦するために密かに鍛える毎日の筋力トレーニング。 そして隊列を組んで戦う零戦で、部下の一機も失わない闘いぶり。 部下たちに「無駄死はするな」と言っていた彼は軍隊にいても丁寧な言葉遣い、上品な物腰を失わなかった。 これらの行為を「臆病者」として断じる空気が戦場は勿論、日本全体を覆っていたのだ。 だが宮部は多くの戦闘機仲間から、一流の腕を持つパイロットとして一目置かれる存在でもあった。 ある時飛行訓練中に事故によって亡くなった訓練生を「精神が足らん。大事な戦闘機を壊して軍人の風上にも置けぬ奴」とののしる上官に宮部は反論した。 「亡くなった伊藤は立派な男でした。軍人の風上にも置けない男ではありません」と。 怒り狂った上官に激しく殴られても節を曲げずスックと立つ姿が後輩飛行士の尊敬を得ることになっていく。彼のためなら死んでも良いと思う者や実際に命を張って彼を助ける後輩も。
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