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10月4日 日本橋公会堂にて催された須江太郎氏のピアノリサイタル。 プログラムの第一部は「ショパン生誕200年記念シリーズ2」と題して、ショパンの10代に書いた作品を取り上げている。 最初の2曲はポロネーズ 変イ長調(11歳の作品)と嬰ト短調(12歳の作品)。 後のショパンの作品にみられる独創的な音の世界を垣間見ることはできるが、まだ装飾的なパッセージを多用した習作。 以後の4曲は17歳の作品と言われているもの。 マズルカ風ロンド作品5と作品68-2。ポロネーズ作品71-1。 モーツアルト「ドン・ジョバンニ」のアリア(奥様お手をどうぞ)による変奏曲作品2。 これらの作品の中で現在コンサートで取り上げられる機会に恵まれるのは、マズルカ作品68-2と「ドン・ジョバンニ」の変奏曲ぐらいだろうか。 マズルカ作品68-2はプログラムの解説で「10代の作品としては、異例の高い評価を受けたもの。その中間部は彼の多くのマズルカの典型となるスタイルを示している」優雅で気品に溢れた作品。 「ドン・ジョバンニ」による変奏曲はシューマン(文学的才能に恵まれたシューマンは評論家としても活躍)に「諸君、脱帽せよ。天才現る!」の評論を書かせたとして有名。 しかしいかに天才と言えども、ショパンにとってまだ未熟な作品ばかりを並べられては気の毒な気もする。 ショパン自身は完全主義者で、世に出す作品には推敲に推敲を重ねたと言われているのだから。 この中に後の傑作が一曲でも弾かれていたら、演奏者の意図するショパンの天才ぶりがより素晴らしいものとして伝わってきたのでは?と少し残念だった。 第2部のプログラムは「秋の日に寄せて」と題して、フランスで勉強した須江さんの好きな作曲家、プーランクとドビュッシーの作品。それと共感を覚えるというシューマンの作品だった。 プーランク「3つのノベレッテ(短編小説の意)」では3曲目の演奏が曲の良さを引き出していて面白いと思った。 ドビュッシーは前奏曲集から「枯葉」と「沈める寺」の2曲。そして有名な「月の光」 三つめの「月の光」の美しい音と、完成度の高い演奏がピアニストの優れた資質を感じさせる。 シューマン(彼も生誕200年)の作品は「クライスレリアーナ」から5曲を選んで弾かれた。 物語性のあるこの曲を抜粋で聴くのは初めてだ。作曲者は8曲で一つの曲としたのではないだろうか。何か表現しきれなかった様に感じた。 この第2部の舞台には少々驚かされた。舞台の上にはまるで野に咲くかのようにコスモスが咲いていた。 ああ「秋の日によせて」ですね。 王室御用達のデザイナーの手によるものとはコンサートの最後に話されたが。 そして登場した須江氏は着物に袴! これも友人の能楽師にお借りして着付けてもらったとか。流石に決まってはいる。 「こじつけですが、ドビュッシーやラヴェルの時代はジャポニズムに憧れ、東洋的なものが求められていたので---」 音楽の雰囲気には合わず、なぜ和服で?の違和感が演奏中付きまとう。 更に、色が変わったり絵が映し出されたりショーの舞台のような照明。 曲のムードに合わせてのことらしいが、それが邪魔をして聴くことに集中できない。これにはちょっと腹が立った。 最後のトークで、「今回は僕のやりたいことをやってみたのですが、詰め込みすぎたかもしれません」 会場に笑いが起こった。 同感! 聴衆は音楽に感動を求めてコンサートに出かけるのです。 須江太郎さんは30代半ば(もう少し若い?)のピアニスト。聴き手に喜んでもらいたいといろいろ工夫を重ねた結果の舞台と思う。 そしてクラッシック音楽を一部の愛好家や専門家だけでなく、多くの人に楽しんでもらいたいと考えていることもよくわかる。 まだ若いからいろいろ模索中とは思いますが、そでもせっかくの才能を浪費して欲しくないなと。。。
by akoy28
| 2010-10-06 22:37
| 音楽
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