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年末の風邪で、新年を迎える準備も殆ど出来ずに大晦日となってしまった。
夫の母は自分で作るふっくらとして甘みを抑えた絶品の黒豆、そして島根県産の簀巻きかまぼこ、丸餅などお正月に欠かせない品々を必ず送ってくれる。その他、数の子、イクラ、サーモンなどの頂きものがとても有り難い。 微熱を理由に掃除を夫に任せ、何はともあれ食べ物の用意だけはと鶏ガラを圧力鍋にかけ、紅白膾用の大根と人参の千切り、煮物の下ごしらえに取り掛かる。 午後4時半には成田に着くと言う義弟と一緒の食事にはお酒のツマミも欠かせない。それに年越しそば。 準備を進めていくと不思議なことに身体に力が湧いてきた。 成田で色々手間取って、義弟が我が家に到着したのは8時を回っていた。その間なんの連絡もなく、心配しながらも「もしかして電話番号忘れたとか?」などと笑っていたのが的中。なんと「駅で待っているから」との電話が、島根県の実家から掛かってきたのだ。 電話帳を忘れてきたのだそうだ! おおらかな弟と兄とが楽しそうに呑みながら話を始めたので、残るお正月の準備を始めた。 明けましておめでとうございます! ![]() お酒を呑み、お節や雑煮を頂き、後は夕方まで話し続けた元旦ではありました。 夫の弟であるYちゃん(50代の立派な大人をちゃん付けも可笑しいが、ずっとそう呼んでいる)は長男が小学校に上がるという時に仕事でアメリカに住むことになった。それから20余年。 男の子二人、女の子二人の子供たちをアメリカで育ててきた。 27歳になった長男はコンピュータ技師として会社に無くてはならない存在。日本と違って能力主義のアメリカでは上司がおかしな言動を取ると即、別の会社に移ってしまうらしい。 親の方はビックリするが、「変わったほうが給料も良いし、良い仕事も出来る」と屈託がないとのこと。 日本では一度会社を辞めてしまうと、能力があっても復帰することが難しいのに。 24歳の長女は生物学の研究員として働いている。日本人(アジア人に共通のものらしい)特有の優秀さ、器用さが買われて良い仕事を任されているしっかり者。 21歳の次男も食品化学の研究所でアルバイトをし、学費を賄っているとか。 身体も大きく力持ちで、大雪の降るニュージャージーでは欠かせない雪かきなどの力仕事に大活躍。先日の大雪にも隣家の分まで、夜中に3回に亘って雪かき。 次女はまだ17歳の高校生。フェンシング部のキャプテンだそうだ。 ![]() スポーツの盛んなアメリカでは他にも色々なスポーツを楽しんでいる様だが、四人に共通したスポーツはフェンシングということだった。 アメリカには人種偏見の甚だしさや横暴な支配者としてのイメージが強くある。 しかし、一方では自由で開放的な良さも感じられる。この点ではまだまだ閉鎖性の強い日本。 どちらの社会にも長所、短所はあるが日本にいたら彼らがここまで逞しく、そして能力を伸ばすことが出来ただろうかとは、話を聞いていて思うことだった。 移住した初めの頃は「日本が輝やいて見える」と。きっと心細い時期だったのだと思う。 元々逞しいYちゃんと、おおらかで伸びやかな奥さんのMさん。 景気の浮き沈みを乗り越え、四人の子供たちをアメリカ社会の中でしっかり育ててきた姿は自信と確信に充ちて大きく見えた。 子供たちと共にあるパワフルな日々の様子を聞き、風邪もすっかり吹き飛んでしまったようだ。 新しい年明けに大きなエネルギーを運んでくれて有難う! 素晴らしいプレゼントでした。 ![]() 私達も老後のことを心配するばかりはなく、その日その時を充実したものにしていきたいものと思います。
by akoy28
| 2011-01-02 18:03
| 身辺雑感
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