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11月1日 一通の封書が届いた。
差出人を見るとピアニストのYちゃんからだ。 Yちゃんはかつてピアノ教室の生徒だったが、年賀状のやり取りはあるものの久しく会っていない。 「どうしたのかしら?」と訝しく思いながら封を切るとコンサートの案内と手紙だった。 《Bis Terna ビステルナ 午後の音楽会》 Bis Terna=繰り返し(ずっと)三人で、と言う様な意味だろうか 11月5日 新大久保のスタジオヴィルトウォージでの、《歌とピアノによるコンサート》は意欲的なプログラムと、三人の歌手の経歴とで興味をそそられた。 三人とも音楽大学出身者ではない。 トップバッターの男性歌手は美術史学を専攻、2番目に歌われた女性は文学部史学科で学ばれたそうだ。 最後の女性歌手は高校時代よりバンド活動、スタジオミュージシャンを経てハンガリーに音楽留学。 個性的な歌手と其々が信頼を寄せるピアニストとのアンサンブルとのこと。 1.モーツァルト 歌劇「コジ・ファン・トゥッテ」よりアリア「恋のそよ風」 歌劇「魔笛」よりアリア「何と美しい絵姿」 ベートヴェン 歌曲「我は汝を愛す」 「アデライデ」 2、シューマン 歌曲「女の愛と生涯」詩:シャミッソー ブラームス 歌曲「恋焦がれ」詩:民謡 「まどろみはいよいよ浅く」詩:ヘルマン・リング 「恋しい人のもとへ」詩:ボヘミア民謡 「五月の夜」詩:ヘルティ 3.レスピーギ 歌曲「最後の陶酔」「夜の想い」「短い物語」 「涙」「光」「霧」「降雪」「夜」 コンサート全体については沢山お伝えしたいことがあったのですが、後日ということにして今日はYちゃんに絞ってみようと思います。 レスピーギの歌曲 今回歌われた8曲は1896年から1912年の間に書かれた歌曲。 アダ・ネグリと言う女流詩人の詩に作曲されたもの。 オットリーノ・レスピーギは1879年にイタリアのボローニャで生まれる。 若い頃はヴァイオリン、ヴィオラ奏者として活躍していたが後に作曲家に転向。 ローマ三部作と呼ばれる交響詩「ローマの噴水」「ローマの松」「ローマの祭り」がとりわけ有名だが、広いジャンルにわたり多作家でもあった。 この度初めて声楽曲を聴くことが出来たのだが、演奏するYちゃんも歌曲があるのを知らなかったとか。 古典音楽、旋法、近代音楽の融合を図った作曲者の、今回の作品を聴いてもレスピーギの歌曲はもっと演奏されても良いのではと思った。 当時は珍しかった女性の詩人、アダ・ネグリの感性が織りなす「光と影」 それは「喜びと哀しみ」であったり「恋と激しい苦悩」であったり、「生と死」でもあり、どう捉えるかは歌う人聴く人に委ねられている。 短い物語 彼女は白い詩人のようだった 何時も白い服を着ていた 顔には東洋のスフィンクスの静けさを漂わせていた 彼女の脇にまで絹の髪が垂れていた さりげない美しい身体は彫刻のようだった 愛した。だが愛し返されなかった 表情は穏やかでも、心の底には 言葉のないその愛の、たちの悪い炎を秘めていた しかしその願望は彼女を消耗させた 十月の黄昏の時に彼女は死んだ 太陽に照らされないバーベナのように ピアノパートも素晴らしい。むしろピアノに相当のウエイトが置かれているのを感じる。 歌との激しい鬩ぎ合い。歌の様々な舞台を作り上げていくピアノの力強い進行。 この人のピアノ作品を聴いてみたい、出来れば弾いてもみたいなと・・・ Yちゃんの手紙には作品について「歌ならではの感情表現、それもストレートで激しく圧倒される」とあり、又「伴奏は歌を支え引き立てるものという固定観念が取り払われ、歌とピアノそれぞれの激しい感情がぶつかり合って世界を作る曲もあるのかしら・・・と認識を新たにしました」 そして「円熟したロマン派後期の音使いからストラビンスキーと共通するようなプリミティズム・・・後略」と作品についての考えが熱く語られていて、ワクワクしながら読ませてもらった 「子育てのブランクが・・・」とコンサートの後恥ずかしそうに話されていたが、だからこそ素晴らしい演奏だったのではと思う。(子育て=〇〇とは・・・短絡な勝手読み?) 知的な解釈とそれを実現するテクニックを身につけて、恐らく大変難しいであろう曲の各々を精神の領域にまで高め、弾き分ける力量は相当なものと感じた。 Yちゃんは小学校に入る頃にピアノの生徒として我が教室に。 クリクリっとした目が利発な輝きを放っていた。 男兄弟に挟まれた一人娘。近所のガキ大将にも負けない勢いがあって、音大出たての新米教師がムキになってシゴいてもビクともしない強さが頼もしい。 少女時代に入った合唱団で素晴らしい先生に巡り合い、「コダーイシステム」を研究されていたその先生の教えをしっかりと受け止めて、音大卒業後ハンガリーに留学。 ピアノのみならず声楽、指揮法、作曲法など広く音楽の勉強を続けてきた。 帰国後、ピアノ教室の後輩たちのソルフェージュの授業を受け持ってもらった頃のこと。 未だ小学校低学年だった「やんちゃ坊主三人組」は先生の言うことを聞かず随分お世話を掛けたものだった。 犬コロのようだった三人も立派な大人になって、お陰様で今も三人三様で音楽と 関わっています 懐かしい魂に出会えたような・・・そして彼女の大きな成長に感動しながら 幸福感に包まれ帰途に。 フト気がつくとYちゃんを良く知る夫に夢中になって話をしていた Yちゃん有難う!!また会いましょう。そしてまた聴かせてね!
by akoy28
| 2011-11-08 15:44
| 音楽
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