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日経新聞の土曜版「プラス1」に「温泉食紀行」と言うシリーズものがある。
読んでの通り、旅名人のレポーターによるお勧めの温泉と、その地の「美味い食」を紹介するものだ。 4月6日土曜日のタイトルは「ピアニストの愛した風景」 ピアニストの文字に、うん?・・・ピアニストって誰? 何とそれはフランスの巨匠アルフレッド・コルトーのことだった。 日本の温泉とコルトーとの結びつきに興味をそそられたのは言うまでも無い。 1877年生まれのコルトーは20世紀初頭から半ば頃に演奏家として活躍した世界的なピアニスト。 私の敬愛してやまないピアニストの一人でもある。 1952年に来日しているが、まだ子供だった私は生の演奏を聴いたことがない。 LPのレコードで初めて聴いたのがいつ頃かは憶えていないが、年長の従妹達が「ミスタッチは多いけど素敵よねぇ」と感嘆しているのを耳にしてコルトーの名を知った。 確かに技巧派ではないけれど、詩的なファンタジーとその深い表現に一度で魅せられてしまった。 後年、DVDで彼の公開レッスンを見ることが出来、その優れた教育にも感動したことが思い出される。 さて、孤留島(こるとう)と名づけられた島。 山口県川棚の沖に浮かぶ四つの島は総称を厚島と名づけられている美しい無人島だった。 記事によると、1952年演奏旅行で川棚に宿泊したコルトーはその美しさにすっかり魅了されて「この島を買いたい」と当時の村長に申し出た。 村長さんは「永久に住むのであれば差し上げましょう」と快諾したとのこと。 更に島の名前を「孤留島」と名づけてコルトーを感激させたそうだ。 しかし、既に晩年に差し掛かっていたコルトーは、その後病に倒れて夢を実現することなくこの世を去ってしまった。 年月もたち日本では知る人も少なくなってしまったこの話、フランスでは意外な展開を見せていたよう。 「厚島ってどんなに美しい島なの?」とネットで調べたら、素敵なお話が載っていた。 コルトーはたった一度演奏旅行で訪れた日本をたいそう気に入っていたようだ。 《「日本は素晴らしい。なぜか外国にいる気がしない。日本はブレ・ペイ(本当の国)だ。 そういえる国は たくさんあるものじゃない。永久にここに住んでも悔いはない」と同行していた愛弟子にもらしていた・・・下記のサイトより》 興味のある方は是非下記のサイトを訪問してみて下さい。 www.city.shimonoseki.yamaguchi.jp/kanko/frame/arekore_densetu_koruto-.html" またwww.kawatananomori.com/institution.html"のサイトではコルトーホールについて書かれている。 コルトーの設立したパリのエコールノルマル音楽院(パリ音楽院の教育に不満を感じていたコルトーが創設)から、2003年秋、川棚温泉のホテルに1本の電話が入りました。「生前コルトーが、永住したいと話していた『カワタナで見つけた夢の島・厚島』はそちらに存在しますか」 日仏交流150周年の2008年、コルトーの縁で、下関市長と川棚の住民がパリを訪れ、下関市とエコールノルマル音楽院とのパートナーシップ提携の調印式が行われました。 コルトーが滞在したホテル跡地に完成した下関市川棚温泉交流センターの大交流室を「コルトーホール」と名づける承認も得ました。 川棚温泉から、音楽を中心にした日仏交流がはじまっています。 《孤高のピアニスト》に想いを馳せる一日だった。 この旅シリーズのもう一つの眼目、味についても付け加えたい。 カラフルで珍しい焼きそば、川棚温泉名物の「瓦そば」だ。 瓦を熱々に熱して、その上に炒めた茶そばをのせ、錦糸卵、牛肉、葱、のりを重ね、レモンスライスともみじおろしをトッピングした・・・とある。 嗚呼・・・美味しそう!! 一度は訪れてみたいと思わせる魅力溢れる記事でした。
by akoy28
| 2013-04-14 17:25
| 音楽
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